【宮野城】|利根郡|みなかみ町|御城印

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販売店MAP

販売場所

販売場所 たくみの里
住所 群馬県利根郡みなかみ町須川847
TEL 0278-64-2210
営業時間 9:00~17:00(11/4〜3月春分の日の間は16時まで)
駐車場 大型:10台 普通車:80(身障者用2)台
公式サイト http://takuminosato.jp/

詳細

宮野城の通常印と特別印を製作させて頂きました。
上杉謙信公が越山の時に見た夢を直江兼続公が吉夢とし、夢を見た日が申の月、申の日で上杉謙信公が申年生まれだったことから”猿ヶ京”と言う地名になったという伝説が残るみなかみ猿ヶ京。実際は二人の年齢差や申年生まれでは無い事から伝説だと思われますが地元には根強く物語として語り継がれております。
謙信公が関八州を手中に収めるという夢を見た地、温泉もあり秋は紅葉も素晴らしいく上杉謙信公武者行列なども開催されております(コロナ前)。是非お越し頂ければ幸いです。

引用:攻城団より(吉澤さんからのメッセージ)

宮野城について

城名 宮野城
分類 平城
築城者 山内上杉氏か
遺構 堀、土塁

歴史・沿革

永正七年(1510)

関東管領上杉憲房と、長尾景春の軍勢が宮野で合戦に及び、憲房勢が敗れている。
『日本城郭大系』では、このときすでに宮野城があったものとし、築城者は憲房の養父顕定と推測している。

永禄三年(1560)

越後の長尾景虎が関東へ侵入したが、宮野は三国峠越えの中継地点として重要な位置にあるため、このときまでには城が築かれていたものと考えられる。
ちなみに、現在の猿ヶ京の地名は、宮野に宿泊した景虎が命名したものとされているが、その語源については諸説あり定まっていない。

天正二年(1572)

吾妻郡尻高城主の尻高景家が真田氏に攻め滅ぼされると、時期は不明だが、景家の子左馬介義隆が上杉氏を頼って宮野城に入った。

天正六年(1578)

御館の乱が勃発すると、宮野城は上杉景虎方の沼田城代の1人河田重親に攻められた。
このときの宮野城主が義隆であったかは定かでないが、一度は寄せ手を押し返したものの、北条氏の主力が加わるに及んで落城した。

天正八年(1580)

四月、宮野城は真田昌幸の将で沼田城代となった海野輝幸によって攻められた。
このとき、武田氏と上杉氏は同盟関係にあったことから、義隆は北条側に転じていたものと推測される。
義隆は奮戦したものの衆寡敵せず、落去した先で進退に窮して自害した。

天正十年(1582)

武田氏が織田信長に滅ぼされると、上杉氏が宮野城を奪取したものとみられる。
同年に沼田に進軍した信長麾下の滝川一益の甥滝川益氏が宮野城を攻めたが、失敗している。
その後の宮野城については不明であるが、遅くとも真田氏・上杉氏双方が豊臣秀吉に降り、景勝が上野国内の所領を放棄させられた時点で、廃城となったものと推測される。

http://kojousi.sakura.ne.jp/kojousi.miyano.htmより引用

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