【不落の城】|太田市|金山城|御城印

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販売店MAP

販売場所

新田金山城 史跡金山城跡ガイダンス施設

詳細

金額:300円(税込)
住所:群馬県太田市金山町40番30号
問い合わせ先:0276-25-1067
営業時間:9:00~17:00
休館日:月曜(月曜が祝日の場合は火曜)
URL:史跡金山城跡ガイダンス施設

新田金山城について

城名 新田金山城
城郭構造 連郭式山城
天守構造 なし
築城主 岩松家純
築城年 1469年(文明元年)
主な改修者 後北条氏
主な城主 岩松氏、由良氏、高山定重、宇津木氏久
廃城年 1590年(天正18年)
遺構 石垣、土塁、堀、馬出し、井戸
指定文化財 国の史跡

歴史・沿革

室町時代以前

1336年(建武3年)に佐野義綱が新田庄の新田城を攻め落としたという記録がある。
この新田城が新田義貞によって金山に建築されていたのではという説があるが、最近行われている発掘調査ではその時代の遺構や遺物は検出されていない。
ただし城郭遺構の保護との兼ね合いのために万全な調査ができていないという一面もある。

室町時代・安土桃山時代

1469年(文明元年) 新田一族であった岩松家純によって築城される。
以降、1528年(享禄元年)に由良成繁・国繁親子、1584年(天正12年)には北条氏と主は変わったが、上杉謙信や武田勝頼の攻撃を退けるなど、関東七名城の一つとされる。
1590年(天正18年) 豊臣秀吉の小田原征伐の際攻撃を受けて落城、こののち廃城となった。

近現代

1934年(昭和9年)12月28日に「金山城跡」(かなやまじょうあと)として国の史跡に指定された。
現在は、いくつかの遺構をもとに、公園として整備されている。
藤岡市にある平井金山城と区別して太田金山城とも。
2006年(平成18年)4月6日、日本100名城(17番)に選定された。
2009年(平成21年)5月30日、史跡金山城跡ガイダンス施設・太田市金山地域交流センターが開館。

Wikipediaより引用

 

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